朝の食卓で、湯気の立つごはんとともに並ぶ納豆。箸でかき混ぜると、ふわりと漂う香りと、糸を引く独特の姿に「今日も日本の朝だなあ」と感じる人も多いのではないでしょうか。けれど、よく考えてみると──この不思議な食べ物はいったい、いつ、どこで、どのようにして誕生したのでしょうか?
納豆は発酵食品のひとつでありながら、製法や誕生のきっかけが非常に“偶然性”に富んでいることでも知られています。気づけば私たちの暮らしに根付いている納豆ですが、その起源には古代から語り継がれてきた複数の説が存在します。しかもそれらは、どれも魅力的な物語に彩られているのです。
この記事では、縄文時代から南北朝時代にかけて語り継がれてきた、納豆誕生にまつわる代表的な説を、年代順に紹介していきます。朝の食卓の主役とも言えるあの納豆に、こんな奥深い歴史があったとは──そんな新しい発見に出会えるかもしれません。
縄文時代の自然発酵という可能性
最も古い説では、納豆の起源は1万年以上前の縄文時代にまでさかのぼります。この時代、日本列島ではツルマメ(大豆の原種)が採取されており、人々は煮たり蒸したりして食べていたとされています。住居は竪穴住居で床に稲ワラが敷かれていたといわれています。稲ワラには納豆菌が豊富に付着しており、この自然環境が納豆のような発酵食品を偶然に生む条件を備えていた可能性があります。そこで偶然にも発酵が起こり納豆が誕生したあのではないかという仮説です。
弥生時代に広まった大豆と発酵との偶然の出会い
弥生時代(紀元前300年〜3世紀)には、稲作とともに大豆の栽培が定着していたとされます。藁葺き屋根や床に藁を敷いた住居環境など、納豆菌が自然に繁殖しやすい環境が整っていたこともあり、偶然に煮豆が発酵するケースがあったのではと考えられています。
聖徳太子の発見説
飛鳥時代(6〜7世紀)には、聖徳太子が飼っていた愛馬に煮豆を与えた際、余った豆をワラで包み木に吊るしておいたところ糸を引き始め、それを食べてみたら非常に美味だったという物語があります。聖徳太子という歴史的人物と納豆を結びつけることで、起源に物語性と神秘性を持たせるこの説は、科学的根拠には乏しいものの、民間伝承として非常に興味深い位置づけにあります。
源義家の発見説
平安時代中期(11世紀)、東北で起きた後三年の役において、源義家が煮豆をワラに包んで携帯させたところ、数日後に発酵して糸を引く状態になっていたという説があります。最初こそ驚いたものの、味わってみたら意外と美味しかったため、そのまま食用として広まったとされています。この説は、大まかな部分は同じですが、いくつかのバリエーションが存在しています。
光厳上皇の発見説
南北朝時代、光厳上皇が常照皇寺に滞在していた際、地元の村人が煮豆を新藁の包みに包んで献上したところ、数日後に糸を引き発酵していたといいます。上皇はそれを捨てずに塩を振って食べたところ非常に美味だったため、その食べ方が定着し「鳳栖(ほうせい)納豆」と呼ばれるようになり、やがて京都御所へ献上される習慣になったと伝えられています。
偶然と伝承が織りなす納豆の歴史
素材と環境との出会いによって偶然生まれた納豆の数々の伝承は、意図的に発酵食品を作ろうとした経緯ではなく、自然と暮らし、そして人々の偶発の行為の積み重ねのなかに生まれたものだと思われます。それぞれの時代に語り継がれてきた伝説は、納豆がただの食材ではなく、歴史や文化、地域と深く結びついた存在であることを示しています。次に納豆を箸でかき混ぜるとき、その粘りの奥にある文化と偶然の歴史に思いを馳せてみませんか
納豆の起源に関する説は、いずれも「誰かが意図して生み出したもの」ではなく、「自然と暮らす中で、偶然に発酵が起こった」という点に共通しています。だからこそ、納豆にはどこか人間らしい温かみがあり、時代を超えて私たちの食卓に受け継がれてきたのかもしれません。
今日もどこかの朝の食卓で、糸を引く納豆がご飯にそっとのっている。その姿は、数千年にわたる偶然と暮らしの知恵が織りなす、小さな奇跡のような存在です。
ぜひ一度、その一口に込められた歴史と物語を想像しながら、納豆を味わってみてはいかがでしょうか。
オリジィだよ。あの糸引きと匂いだけでもすごいインパクトなのに、起源までもめちゃくちゃドラマチックじゃない!? 縄文の頃からワラと豆と偶然がいい感じに出会ってたなんて、もう“発酵界のロマン枠”だよね。聖徳太子や源義家まで登場してくるなんて…。
参考文献: 全国納豆協同組合連合会 / Haccomachi / SHUN GATE / Discover Japan


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