誕生からわずか40年足らずで6千億円を超える巨大産業へと発展し、今や「Karaoke」として国境を越え世界中で愛されている日本発のエンターテインメント、カラオケ。この文化は、単に歌を歌うための機械という枠を超え、常に時代の最先端技術と密接に結びつき、ハードとソフトの両面で絶え間ない革新を続けてきた。アナログからデジタルへ、そしてネットワーク社会へと進化を牽引してきたカラオケの、驚くべきルーツと革新の歴史をたどる。
やあ、みんな!オリジィだよ!この世界的な娯楽って、一体誰が、いつ、どうやって作ったんだろう?今回調べてみたら、なんと、カラオケの起源って一人の天才がパッと発明したんじゃなくて、東京、神戸、九州の偉大な発明家たちが、ほぼ同時期に情熱を燃やして開発を競い合っていたみたいなんだ!特に、世界初のカラオケマシーンが「歴史的偉業」としてIEEEマイルストーンに認定されたって聞いて、もう興味津々!あの平賀源内のエレキテルやQRコードと並ぶなんて、日本の発明家魂は本当にアツいぞ!さあ、この複雑で面白いカラオケの秘密を、オリジィと一緒に徹底的に探求しよう!
ラジオ業界の隠語から生まれたカラオケ
カラオケという言葉は、私たちが現在想像する機械的な娯楽が誕生するよりも前から存在していた。元々はラジオ放送業界の専門用語として使われていたのである。生演奏、すなわち生のオーケストラ(生オケ)に対して、伴奏だけを録音したテープを「空(から)のオーケストラ」と呼び、これを略して「カラオケ」と称していたのだ。歌手が地方のラジオ局や営業活動をする際に、この伴奏テープを持参することで、少人数での活動を可能にしていた。
アマチュアの人々がこの伴奏テープを用いて歌い始めたのが、1960年代後半頃のことで、これと時を同じくして、日本各地の様々な場所でカラオケ機器が開発されるようになった。
複数の偉人たちが火花を散らしたカラオケ装置の誕生
カラオケ機器の開発初期には、複数の発明家や事業者がそれぞれのアイデアを形にしていた。東京では、カーステレオなどの組立工場を経営していた根岸重一氏が、1967年に世界初のカラオケマシーンの試作機を社内で開発したとされている。発明好きだった根岸氏は、仕事終わりに通っていた夜のスナックで、流しのギター演奏に合わせて歌うのが楽しみだったが、流しが演奏できる曲だけでなく、歌いたい人が歌いたい曲を簡単に演奏できる「マシーン」ができないかと考えた。
誕生した装置は「ミュージックボックス」、後に「スパルコボックス」と改名された。これは4曲が入った8トラックの磁気テープを装置に差し込み、マイクに合わせて歌う仕組みだった。このスパルコボックスには、音楽に合わせて色とりどりのライトが点滅し、歌い手の雰囲気を盛り上げるという、現代のカラオケボックスにも通じる工夫が最初から盛り込まれていた。
さらに、カラオケが普及していない時代、人前で歌って音程やテンポを外すことを恐れる歌い手をリードするため、音量を下げたプロ歌手の歌も別途録音されており、歌い手が音量を調整できる機能も搭載されていた。根岸氏は、装置自体を売り切るのではなく、100円を入れれば10分間歌えるコイン式にし、売り上げをスナックと折半するビジネスモデルを採用した。これにより、スナック側は設備投資なしで売り上げを上げられる仕組みとなった。この故・根岸重一氏が開発した世界初のカラオケマシーンは、その歴史的偉業が認められ、2020年度にIEEEマイルストーンに認定されている。
業務用カラオケ事業の先駆け「8JUKE」
一方、関西の神戸では、弾き語り演奏家だった井上大佑氏が、1971年頃に業務用カラオケの初号機「8JUKE(エイト・ジューク)」を完成させた。井上氏は、運転中でも頭出しが容易なカーステレオ用の8トラックテープを記録媒体として使用し、これにマイクからの音声をミキシングする回路、小型のアンプ、そして1曲5分間100円で稼働するコイン式タイマーを組み込んだ。手狭なスナックに置いてもらえるよう、大きさも幅30センチ、高さ30センチ、奥行き25センチのコンパクトな正方形に抑えられていたという。弾き語りで録音した伴奏テープ(40曲)をセットにして店舗にレンタル提供したところ、神戸の酔客から評判を博し、この1971年がカラオケ事業の始まりであるとされている。
また、九州では、「国民皆唱運動」を提唱していた山下年春氏が、素人でも歌いやすいようにアレンジされた伴奏テープ(8トラック式)を1970年に発売しており、これが初のカラオケソフトであるとも定義されている。
映像とリモコンがカラオケを大衆化した
カラオケは全国でビジネスとして注目され、ハード・ソフトメーカーが相次いで登場し、酒場などの社交場を中心に急速に普及していった。誕生後の10年間は、大手家電・音楽業界(クラリオン、日本ビクターなど)やカラオケ専業メーカーが技術とアイデアを競い合い、ハードとソフトの質が向上したことで、愛好者が増加し、家庭にも浸透した。
その後のカラオケのスタイルを大きく決定づけたのは、1980年代初めに登場した「映像カラオケ」と「オートチェンジャー」という二つの革新的な技術である。
それまで、カラオケは歌詞カードを見ながら歌うのが一般的なスタイルであったが、1982年にパイオニアが業務用システムを開発したレーザーディスク(LD)カラオケの登場で一変した。画面に背景画像や歌詞のテロップが流れるようになり、モニターを見て歌えるようになったのである。この「映像カラオケ」はファン層を大きく広げ、1989年から1991年には、カラオケ出荷台数の約8割を占めるほどになった。
さらに、1984年頃にソニーと第一興商が共同開発したCDチェンジャー(オートチェンジャー)は、選曲方法を革新した。コンパクトで簡単なリモコン操作が可能となり、ディスクやテープの入れ替え操作が不要となった。この利便性は旅館やホテルなどのバンケット市場にも浸透し、スナックなどではカラオケ操作の手間が省け、人件費削減にも繋がったため、マニュアルタイプからの買い換え需要を生み出した。オートチェンジャーはすぐにLDやVHDにも採用され、オートタイプ(自動式)の市場を作り上げた。
カラオケボックスが新規市場を開拓
カラオケ産業の第二の革新は、1985年に岡山県で誕生した屋外型カラオケボックスである。元トラック運転手の佐藤洋一氏が、船舶用コンテナやトラックのコンテナを改造し、その中にカラオケ機材を持ち込んだのが始まりとされている。
カラオケボックスは、従来の酒場のような他人の視線を気にする必要がなく、個室で仲間内で歌を楽しめる形式を提供した。これにより、夜間帯の利用が主だったスナック市場に加え、若者や女性、家族連れといった潜在的な顧客層のニーズを満たし、まったく新しい市場を開拓したのである。個室で複数の人が利用するため、ソフトに触らない非接触型(自動式)機器が必要であり、オートチェンジャーの普及がカラオケボックスの誕生と普及を後押ししたと言える。当初は郊外が中心だったが、後に都市部の繁華街へも進出し、全国的なブームを巻き起こした。

マルチメディア時代を牽引した通信カラオケ
カラオケ産業の第三の革新は、1992年に登場した通信カラオケである。従来のLDなどの媒体では、収録楽曲が増えるにつれてディスク管理の場所が必要となり、新曲配達の物流管理も大きな負担となっていた。
通信カラオケは、ブラザー工業の技術者、安友雄一氏が、シンセサイザー用の容量の小さい楽譜データ規格であるMIDI規格をカラオケに転用したことで実現した。ナローバンドの通信回線でも楽曲データを配信できるようになったため、曲数の多さ・新譜リリースの早さ・コンパクトさが高く評価され、急速に普及に拍車がかかった。当時、「マルチメディア」という言葉が流行していた中で、双方向性を持つ通信カラオケは「マルチメディアが唯一具現化した商品」とまで称された。
通信カラオケは、音質面では従来の機器に劣る面があったにもかかわらず、最新曲への迅速なアップデートと利便性で優れていたため、既存の業界構造を一変させる「破壊的技術」であったと考えられている。1995年には主要メーカーの商品が出揃い、全出荷の約8割を占める「通信カラオケ時代」が到来した。
現在、システムはブロードバンド環境の整備に伴い、さらに進化を続けている。ハードディスクの大容量化により収録楽曲は20万曲に迫る勢いで増加し、映像はハイビジョン化され、アーティストのライブ会場のような臨場感を提供している。さらに、「DAM★とも」や「うたスキ」といった、利用者が歌声や姿を仲間に発信できるSNS連携サービスも登場し、カラオケは常にネットワーク技術の最先端で、新たな楽しみ方を提供し続けているのである。
自宅で気軽にカラオケ!Switchでも歌えるよ
カラオケの歴史を追っていくと、根岸さんや井上さんのような発明家たちは「もっと手軽に歌いたい」という情熱から数々の装置を生み出してきた。その精神は、今の僕たちにも同じで、歌う楽しさはどんどん身近になっている。最近は、ワイヤレスカラオケマイクをスマホにつないで歌うのはもちろん、Nintendo Switchでもカラオケアプリを使って本格的に歌えるようになっているんだ。エコー調整や音質補正までしっかり効いて、まるで小さなカラオケボックスが家にあるような感覚になる。
仲間とワイワイしても、ひとりで練習してもOK。昔はスナックや酒場で楽しんでいたカラオケが、今ではリビングで“本気の一曲”を響かせられる時代になったんだなぁって、ちょっと感慨深いよ。
カラオケは、ラジオ放送業界で使われていた「空のオーケストラ」という用語を起源とし、1960年代後半にアマチュアが歌い始めたことで誕生した。
初期の開発は同時多発的であり、東京の根岸重一氏が1967年に開発した「スパルコボックス」は、世界初のカラオケ装置としてIEEEマイルストーンに認定されるという偉業を達成している。また、神戸の井上大祐氏による1971年の「8JUKE」は、業務用カラオケ事業の先駆けとなった。
その後の発展は、映像カラオケやリモコン選曲を可能にしたオートチェンジャーの登場で大衆化が進み、1985年のカラオケボックス誕生が、若者や家族連れという新しい客層を開拓して市場を大きく拡大させた。そして、MIDI規格を応用した1992年の通信カラオケの登場が、多曲化と迅速な新曲提供を可能にし、業界を再編する「破壊的技術」として、現在の高度なカラオケ文化を完成させたのである。カラオケの歴史は、アナログからデジタル、そしてブロードバンドネットワークへと、常に時代の最先端技術とともに進化してきた歴史である。
技術の進化が最高の娯楽を生んだんだね!いやー、今回の調査は本当に勉強になったし、めちゃくちゃ面白かったよ!カラオケの起源が、東京、神戸、九州の熱意ある発明家たちのアイデア競争から始まったなんて、知らなかったら損だよね!特に、根岸さんの「スパルコボックス」が、世界の権威あるIEEEマイルストーンに認定されたっていうのが衝撃的!スマホで使うBluetoothの規格を標準化した機関が、日本のカラオケを「歴史的偉業」と認めたってことだもんね!井上さんがカーステレオの技術を応用して、狭いスナックに置けるようにサイズまでこだわったって話を聞くと、発明家って本当に身近なところにヒントを見つけるんだなって感動するよ!しかも昔は、恥ずかしがり屋のためにプロの歌をこっそり流す機能があったなんて、当時の日本人の優しさが垣間見えてほっこりしちゃうね!ディスクの交換が大変で、MIDI規格っていう小さな楽譜データを使って通信カラオケが生まれたっていうのも、技術的なブレイクスルーを感じる!技術の力で、今じゃ20万曲も歌えるんだもんね!今度カラオケに行くときは、マイクの握り方が変わるな!日本の偉大な発明家たちと、最新技術に感謝して、思いっきり熱唱してくるぞー!みんなもぜひ、この歴史の奥深さを思い出して楽しんでね!
ノロジィだよ。カラオケに最後に行ったのはいつだろう?思い出せないくらいだから相当前なのかもしれない。学生時代以降本当に行かなくなっちゃったよ。ってこの記事でいうことじゃないか。
参考文献: 全国カラオケ事業者協会 / 戦後日本のイノベーション100選事務局 / bizSPA


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