日常の中で何気なく使われる「ありがとう」という言葉。人に親切を受けたとき、何かをしてもらったとき、自然と口から出るこの言葉は、日本語の中でも最も親しまれている感謝の表現のひとつです。しかし、この「ありがとう」には、単なる挨拶やお礼の言葉を超えた、深い歴史と背景が存在します。
その語源をたどると、「ありがとう」は日本古来の仏教思想に由来し、「有り難し」という語句に根差していることが明らかになります。本記事では、仏典に説かれるたとえ話や語源の変遷をもとに、「ありがとう」の本来の意味とその起源を事実に基づいて解説します。
「ありがとう」の起源とは
「ありがとう」という言葉の起源は、仏教の用語「有り難し(ありがたし)」に由来しています。これは「有ることが難しい」という意味の形容詞で、「めったにない」「珍しい」「得難い」という意を持っていました。この言葉の連用形である「ありがたく」が音便化し、「ありがとう」という形になったとされています。
この「有り難し」は、古くから仏教の経典に登場しており、特に有名なのが「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」によって語られる人間として生を受けることの難しさを示す比喩です。
盲亀浮木のたとえと語源の関係
「盲亀浮木のたとえ」は仏説譬喩経や雑阿含経などの仏教経典に記されている寓話です。お釈迦さまが弟子の阿難に問いかける形で始まります。以下がその内容です。
お釈迦さまは、阿難に「生まれたことをどう思うか」と尋ねました。阿難が「大変喜んでおります」と答えると、次のようなたとえ話を示しました。
果てしない大海の底に、一匹の目の見えない亀が住んでいる。その亀は百年に一度、海面に浮かび上がる。一方、海には一本の丸太が漂っており、その丸太の真ん中には小さな穴が空いている。波や風に流され、どこにあるかも定まらないその丸太の穴に、百年に一度浮かび上がる盲亀の頭が偶然入ることがあるだろうか。
阿難が「そのようなことは、到底あり得ない」と答えると、お釈迦さまは「ところが、人間に生まれることはその盲亀が丸太の穴に頭を入れることよりも難しいことなのだ」と教えました。
このたとえ話が語るのは、「人間に生まれることがいかに有難いか」ということです。ここで「有ることが難しい」、つまり「有り難し」という表現が使われており、人間に生まれることそのものが「ありがたい」ことだとされています。
言葉としての変化
もともと「有り難し」は、「この世に存在するのが難しいほど稀で貴重なもの」という意味で用いられていました。『枕草子』などの古典文学にも登場しており、当初は宗教的・形而上学的な意味合いが強い語でした。
中世以降、この語が仏教における教義や譬喩の影響を受けて、「貴重な存在に対する感謝」の意を持つようになります。特に、他者からの行為や恩恵を受けることが「有ることが難しい=有り難い」と解釈され、それに対して「ありがとう」と表現する風習が定着していきました。
江戸時代になると「ありがとう」は日常語として一般に広まり、感謝を表す言葉として定着します。それ以前の時代には、「かたじけない」などが主な感謝表現でしたが、「ありがとう」はより柔らかく現代まで受け継がれました。
誤説の否定
なお、「ありがとう」はポルトガル語の「オブリガード(obrigado)」が語源であるという説が流布されたことがありますが、これは誤りです。ポルトガル語が日本に伝わる以前から「ありがたし」という言葉は日本に存在しており、音が似ていることから生じた俗説にすぎません。
「ありがとう」という言葉の起源は、仏教にある「有り難し」という形容詞にあります。これは、存在することが難しい=めったにないという意味を持ち、人間に生まれることがそれほど稀で尊いことであるという仏教的な教えに由来しています。
特に、「盲亀浮木のたとえ」はその象徴であり、人間としての生を受けること自体が極めて稀有なことであるという仏教的な世界観が、「ありがとう」という言葉の根底にあるとされます。
このように、「ありがとう」はただの挨拶や感謝の言葉ではなく、宗教的・哲学的背景を持つ深い意味を含んだ日本語として成り立っています。語源を理解することで、日常的に使っている言葉にも新たな視点を持つことができます。
オリジィだよ。「ありがとう」って、ただのあいさつじゃなかったんだね。盲亀と丸太の話、びっくりしたよ。「あるのがむずかしい」って意味が、毎日の言葉にこもってるなんて。これからは、もっと気持ちをこめて言いたくなるね。
参考文献: 1から分かる親鸞聖人と浄土真宗 / 仏教ウェブ入門講座


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