日本のポップカルチャーとして世界に知られるようになった「漫画」は、今や「Manga」として通用する世界共通語となっています。私たちが「漫画」と聞いて連想するのは、一般的に、コマ割りや吹き出しでセリフが表現されたコミック形式の作品でしょう。しかし、日本の漫画の歴史は非常に古く、その始まりは諸説ありますが、古代の戯画や絵巻物にまで遡ります。時代や文化の流れの中で常に姿を変えてきた「漫画」の多様性と魅力について、その起源から現代に至るまでの歴史を紐解きます。
漫画という言葉の誕生と変遷
「漫画」という言葉の語源は、古来中国に存在した「漫筆」(そぞろがき、随筆)に由来し、それが日本に入って「漫筆画」を経て「漫画」になったと言われています。
この「漫画」という言葉が初めて刊本に使用されたのは、鈴木煥卿が著した明和8年(1771年)の『漫画随筆』ですが、これは漫画そのものについての随筆本ではなく、絵や図も含まれていませんでした。その後、寛政10年(1798年)に発行された山東京伝の随筆本『四時の交加(しじのゆきかい)』の序文で、「気の向くままに描く」という意味合いで「漫画」(マングワ)という言葉が使用され、この本がヒットしたことで広く人々の目に触れるようになりました。

さらにこの言葉を大衆に広めたのが、浮世絵師の葛飾北斎です。北斎は文化11年(1814年)から『北斎漫画』を出版しましたが、この「漫画」は、現代のストーリー性のある漫画とは異なり、「漫然と描かれた絵」や「そぞろがき」(筆の走りに任せて描いた)といった意味で使われており、多様な人々の姿や動物、風景などを集めたスケッチ集でした。北斎は、この言葉をタイトルに選んだことで、「漫画」という言葉を広く世に知らしめた人物とされています。

明治時代に入ると、今泉一瓢や北澤楽天らによって、西洋の「caricature」「cartoon」「comic」の訳語として「漫画」が使用されるようになり、現代の視覚表現につながる概念が定着していきました。
日本漫画の原点:絵巻物『鳥獣人物戯画』
日本の漫画史は12世紀(平安時代後期~鎌倉時代)にまで遡ります。その起源については諸説ありますが、絵巻物の中に、後の漫画に通じる「戯画」を見ることができます。もともと絵巻物は、中国から伝わった経典を分かりやすく伝えるために、文章に絵を添えたことが始まりとされています。
特に「四大絵巻物」の一つに数えられる鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)』は、日本の漫画やアニメーションのルーツともいわれています。作者は鳥羽僧正(覚猷)と伝えられていますが不詳です。この絵巻物では、兎や蛙、猿などの動物たちが擬人化され、水遊びや相撲、仏事といった当時の人々の生活や社会を風刺的に、そしてユーモラスに表現しています。現代の漫画と同様に、吹き出しの初期の例や、一つの絵の中に複数の人物が登場して視覚的な展開を強調するなど、ストーリーを連続的に見せるための表現技法が多く見られます。

古くは法隆寺金堂の天井や、正倉院に残る古文書、唐招提寺の梵天像台座の裏にも戯画的な表現がみられており、絵巻物の登場とともに戯画は「百鬼夜行図」などにも広く登場しましたが、これらは肉筆画であったため、18世紀初頭まではごく限られた人たちしか見ることができませんでした。

庶民文化が生んだ江戸時代の「漫画」
現代の漫画に近い形式が生まれるのは、庶民文化が栄えた江戸時代に入ってからです。
この時代には、庶民に広く親しまれた戯画のスタイルとして、大津絵と鳥羽絵が挙げられます。
大津絵は、近江国(滋賀県)大津の追分あたりで旅人向けの土産物として売られていた民衆的な絵画で、「追分絵」とも呼ばれています。初期は仏画が描かれていましたが、その後、世俗的な絵が主流となり、鼠や猫、猿などの動物や鬼を擬人化し、滑稽な役回りを通して風刺的な意味合いを持つものが多く登場しました。
一方、鳥羽絵は、広く戯画や漫画を指す言葉としても使われますが、厳密には18世紀前半に大坂を中心に流行した、軽妙な筆致の戯画を指します。その名称は『鳥獣人物戯画』の作者と伝えられる鳥羽僧正に由来しています。鳥羽絵の大きな特徴は、人物の手足が極端に細長く、目は黒丸や「-」といった形で簡略化され、鼻が低く口が大きいといった描線が簡潔な表現です。長い手足は「動き」を表現し、躍動感のある画面を作り出しました。
この時代、木版技術が普及したことで、同じものを同時に大量に制作することが可能になり、漫画は庶民の生活に向けられたテーマを中心に描かれることで、商品として広く浸透していきました。庶民向けの読み物として人気を博した絵入りの本である「草双紙」、特に大人向けの「黄表紙」は、風刺やユーモアを含む物語が特徴で、現代の漫画のストーリーテリングの基礎を築きました。また、浮世絵においても、葛飾北斎や歌川国芳らが多色刷りの錦絵(にしきえ)などの形で戯画や風刺画を発展させ、現代のフルカラー漫画の基礎とも言える視覚的魅力を高めています。
西洋の衝撃:近代漫画の確立
明治時代(1868年~1912年)に入ると、西洋文化の影響を強く受け、日本の漫画は大きく変化し、近代漫画の基礎が築かれます。
西洋の風刺画や漫画を日本に持ち込んだパイオニアとされるのが、英国人の画家・漫画家のチャールズ・ワーグマンです。彼は幕末期に来日し、1862年(文久2年)に横浜で日本初の漫画雑誌とされる英文の風刺画雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊しました。ワーグマンは西洋画法の教師でもあり、彼の活動は、日本の近代漫画と西洋美術の両方の創始者として歴史的に位置づけられています。


この西洋の影響を受け、浮世絵師の河鍋暁斎(かわなべきょうさい)は、西洋のデッサン技法を取り入れた『暁斎漫画』など、生き生きとした動きと表情を持つ作品を多く残しました。
明治後期には、新聞や雑誌で風刺漫画を発表した北澤楽天が登場します。楽天は、アメリカの新聞のコミック欄から影響を受け、日本初の本格的な漫画雑誌『東京パック』を創刊するなど、近代漫画の先駆者として知られています。

大正時代(1912年~1926年)に入ると、岡本一平が独自のスタイルを確立しました。岡本は新聞社で挿絵を担当する中で、一枚絵であったコマ画に軽妙な文章を添える「漫画漫文」というスタイルを生み出し、当時の漫画界に大きな影響を与え、後のストーリー漫画の原型を作りました。さらに、現代の漫画に通じるコマ割りやフキダシといった表現手法が定着し始めたのは、大正12年(1923年)頃に新聞に掲載された「ノンキナトウサン」や「正チャンの冒険」といった連載からです。
漫画の神様:手塚治虫と黄金時代
昭和時代(1926年~1989年)は、日本の漫画が国内外で飛躍的な発展を遂げた「黄金時代」です。第二次世界大戦後、安価な「赤本」と呼ばれる漫画本が流行し、この流れの中で時代のスーパースターが登場します。
それが手塚治虫です。1947年に刊行された彼の単行本デビュー作『新寶島(しんたからじま)』は、やダイナミックなアクションシーンを取り入れ、従来の漫画とは一線を画す表現で、多くの若者や後のクリエイターたちに衝撃を与えました。手塚治虫は、ディズニーなどのアメリカンカートゥーンからも着想を得て、キャラクターの感情を表現するための大きな目など、現代漫画の多くの慣習を発展させました。彼は『鉄腕アトム』や『ブラック・ジャック』などの名作を生み出し、深いテーマ性や人間ドラマを描くことで、漫画を一段上の芸術の域に押し上げ、「漫画の神様」としての地位を確立しました。
1959年には日本初の週刊漫画雑誌『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』が創刊され、漫画は子どもだけでなく大人からも人気を集めるようになり、日常的な娯楽として定着しました。その後、冒険やバトルをテーマとする少年漫画(『ドラゴンボール』『北斗の拳』)や、複雑な人間関係や恋愛を描く少女漫画(『ベルサイユのばら』『ガラスの仮面』)がそれぞれ独自の進化を遂げ、また劇画(げきが)アニメ化とメディアミックスが進行し、漫画文化は商業的にも大きな成功を収めます。
現代の多様な漫画世界:デジタルとグローバル化
現代の漫画は、歴史的な基盤の上に、さらに多様化とグローバル化を遂げています。
漫画は娯楽に留まらず、社会問題や普遍的なテーマを取り上げる力を持っています。例えば、『はたらく細胞』のように教育ツールとして利用されたり、『聲の形』や『きのう何食べた』のように、いじめやジェンダーといった社会的なテーマを描き、読者に考察を促す役割も担っています。
また、インターネットの普及により、漫画の世界は劇的に変化しました。ウェブ漫画や電子書籍プラットフォームが登場し、従来の出版社を通さずにデビューする作家も増えています(例:『ワンパンマン』)。作家と読者の距離が縮まり、SNSを通じて作品が書籍化に至るケースも多く見られます(例:『ちいかわ』)。
そして、日本の漫画は海外で「Manga」として高い評価を受け、世界的なポップカルチャーの象徴となりました。かつては翻訳時に左綴じ(左から右へ読む形式)に合わせるために絵柄を反転させる作業(フロッピング)が行われていましたが、21世紀初頭からは右綴じの日本仕様のまま海外で出版されることが一般的になりました。これにより、日本の文化や日本語に興味を持つ海外ファンが増え、文化的な絆が強化されています。
古代の戯画から始まった漫画は、技術の進化と時代の要求に応える形で常に変形し、進化を続けています。無限の可能性を秘めた漫画の世界は、これからも新しい表現を切り拓いていくでしょう。
日本の漫画は、千年を超える歴史の中で、常に時代とともに変化しながら発展してきました。
『鳥獣人物戯画』のような戯画から始まり、江戸の庶民文化によって親しまれ、西洋の影響を受けて近代漫画へと進化。そして、手塚治虫によって物語性と芸術性が融合し、戦後の黄金期を経て、今や「Manga」として世界中に広がりました。
その背景には、絵と言葉を通じて「人の心を動かす」という普遍的な力があります。
時代が移り変わっても、紙からデジタルへ、そして国境を越えても、漫画は人々の感情や想像力をつなぐメディアであり続けています。
これからも日本の漫画は、文化として、芸術として、そして人と人をつなぐ“物語の言葉”として、世界に新しい風を送り続けていくでしょう。
オリジィだよ!漫画の歴史ってまるで一本の長い物語みたいだと思ったよ。古代の絵巻物に描かれた動物たちの笑いや風刺が、江戸の町で庶民の娯楽になって、やがて紙面を飛び出して世界を巡る――そんな旅のような進化。筆から印刷へ、紙からデジタルへ、形は変わっても「人を楽しませたい」という気持ちはずっと変わらない。だから漫画って、時代を映す鏡でありながら、どんな時代でも人の心を温める“普遍の物語”なんだなって思った。。
ノロジィだよ。漫画は10代までがいちばん読んだなー。それからは読む頻度が減り、今では全く読まなくなってしまった。ただ、この間久しぶりにこち亀を読んだら、面白くてハマりそうになってしまった。
参考文献: 江東区深川江戸資料館 / ヒラメキ工房 / ART SURVIVE BLOG / MACC/ The British Museum