はさみ(鋏、剪刀)は、物を二枚の刃で挟み込んで切断(せん断)する道具です。文具や裁縫、医療など多岐にわたる用途で使用される身近な道具ですが、その起源は紀元前1500年頃にまで遡る、3000年以上の長い歴史を持っています。
しばしば、レオナルド・ダ・ヴィンチがはさみを発明したと誤解されがちですが、彼がカンバスを切るためにこの道具を使用したものの、はさみ自体は彼の生涯よりも何世紀も前に存在していました。
確認されているはさみの形態は大きく二種類に分けられ、歴史の古いU字型の「ギリシア型(握りばさみ/和鋏)」と、現代で主流となっているX字型の「ローマ型(洋鋏)」があります。
握りばさみの誕生:古代のギリシア型(スプリング式)
ギリシア型の構造と最古の発見
現存する最も古い形式のはさみは、ギリシア型(英語ではスプリングシザーズ)と呼ばれる、一枚の金属板をU字形に曲げた形態です。このU字に曲げられた部分がバネの働きをし、力を加えない状態では刃は開いています。両側から握り込むことで刃が重なり合い、切断が行われる仕組みです。

この最古の形態は、約4,000年前(紀元前2000年頃)にメソポタミアで発見されています。これらは伝統的な二枚の刃で構成されていましたが、支点を持たず、背後にある薄くて柔らかい金属片(金属の帯)を握りしめて使用されました。
古代エジプトと羊毛刈りへの応用
ギリシア型のはさみは、紀元前1500年頃には古代エジプト人によって日常的な作業に使用されていました。エジプトのものは、通常ブロンズ(青銅)製の一枚の金属片から作られていました。この装置は貿易や冒険を通じてエジプトを超えて広がりを見せました。
このタイプの鋏が初めて羊毛刈り(羊毛の収穫)に使われたのは、紀元前10世紀頃の古代ギリシアだとされています。当時のエジプトのはさみは大型で重く、屋外作業用であり、髪を切る用途にはナイフなどの単刃が使われていたと考えられています。
力学的に見ると、ギリシア型(握り鋏)は、刃の部分が作用点、U字型に曲げられた部分が支点、刃に近い持ち手が力点となる第3種てこの構造を持っています。
はさみの革命:ローマ型(ピボット式)の登場
現代デザインの確立
今日私たちが一般的に目にするX字型のはさみのデザインは、紀元100年頃に古代ローマ人によって開発されました。これはピボット式(交差刃式)と呼ばれる形式で、二枚の金属板をX字形に組み合わせて鋲(リベット)で留めた構造をしています。

ローマ型のはさみは、二枚の刃が互いにスライドしながら切断効果を生み出し、支点は先端とハンドルの間に位置します。現存する最古のローマ型のはさみは、帝政ローマ時代(紀元前27年頃)のものであり、鉛や針金の切断に使われていたと考えられています。材質はブロンズ製が多かったですが、時には鉄も使用されました。
力学的には、ローマ型(洋鋏)は刃の部分が作用点、刃をつなげるリベット部分が支点、反対側の持ち手が力点となる第1種てこの構造を持ちます。
用途の拡大と普及
古代ローマ人は、この改良されたはさみを、ロープや農作業といった日常的な用途だけでなく、ヘアスタイリングに使い始めた最初の文明の一つだと信じられています。
5世紀には、イシドールス・オブ・セビリアが、中心に支点を持つ交差刃式のはさみを、床屋(理容師)や仕立て屋(裁縫師)の道具として記述しています。このピボットを持つデザインは、ルネサンス期を通じて西洋で人気を博しました。
近代の量産化と鋼鉄の使用
はさみの真の発明者は特定が困難ですが、ロバート・ヒンチリフが近代はさみの父として知られています。イングランドのシェフィールド出身のヒンチリフは、1761年に鋳鋼を使用してはさみを製造し、大量生産を開始しました。これはダ・ヴィンチの死後200年以上経ってからのことです。
19世紀には、精巧に装飾されたハンドルを持つ手作業の鋏が生産されましたが、世紀末までには機械的な生産方法の発展により、スタイルは簡素化されました。また、布地の縁を山形や波形に切るピンキング鋏は、ルイーズ・オースティンによって1893年に発明され、特許が与えられています。
日本への伝来と刀鍛冶による進化
和鋏と洋鋏の伝来経路
U字型の握りばさみ(和鋏)は、6世紀頃に中国を通して日本へ伝わったと考えられています。古墳からの出土例があるほか、鶴岡八幡宮には源頼朝の妻である北条政子が使用したと伝わるはさみも遺されています。

一方、X字型の洋鋏(ローマ型)正倉院から発見されていることから、この時代には既に伝わっていたと推測されます。また、15世紀以降にヨーロッパ人が現代的な洋鋏を日本に伝え、久能山東照宮にはポルトガル人が徳川家康に献上した洋鋏が伝わっています。
しかし、洋鋏は江戸時代には生花や外科手術など特殊な用途に限定されており、日常生活で一般的だったのは握りばさみでした。現在、ギリシア型が広く生産・使用されているのは日本のみであり、和鋏として糸切り鋏などに限定的に利用されています。
明治維新と刀鍛冶の転業
洋鋏が日本で本格的に普及したのは明治時代以降です。この普及には「文明開化」と「廃刀令」が深く関わっています。文明開化により、洋装用の厚いラシャ生地が海外から輸入され、それを切るための西洋製ラシャ切りばさみも大量に輸入されました。
同時に、廃刀令によって刀の鍛造を行えなくなった刀鍛冶たちが、その高度な技術を活かし、包丁などとともに洋鋏の製作に転業したことが重要です。
輸入された西洋のラシャ切りばさみは、外国人向けで大きく重かったため、刀鍛冶の吉田弥十郎らが海外の鋏を参考に、日本人に使いやすいように改良し、「江戸ばさみ」が日本の洋鋏の始まりとされています。岐阜県関市や兵庫県小野市(播州)など、刃物の街で独自の鋏が誕生し、刀鍛冶の技術が継承され、改良が進められました。
はさみは、紀元前1500年頃の古代エジプトのブロンズ製スプリング式(ギリシア型)に始まり、紀元100年頃に古代ローマによってピボット式(ローマ型)という現代的な基本形態へと進化しました。1761年にはロバート・ヒンチリフが鋼鉄を用いて大量生産を実現し、近代の道具としての地位を確立しました。
日本では、古代からの握り鋏(和鋏)が現代まで継承される一方、明治時代以降、廃刀令により転業した刀鍛冶の高度な技術が洋鋏に活かされ、「スキ」や「ひねり」といった精密構造を持つ、世界的に高い評価を受ける製品へと進化を遂げ、今日に至ります。
はさみって、ただの道具だと思ってたけど——その裏には、人類の知恵と工夫がびっしり詰まってたんだね。刃が交差する「カチッ」という音の中に、メソポタミアの金属職人や、ローマの発明家、そして日本の刀鍛冶の魂まで響いてる気がしたよ。特におもしろいのは、日本が「握りばさみ(和鋏)」を今でも使ってる唯一の国だってこと。外国が便利な洋鋏に移り変わる中で、日本だけが伝統の形を守り続けた。まるで、時代を切り開きながらも過去を捨てない職人の美学みたいだね。。
ノロジィだよ。ギリシャ型とローマ型って呼び名があったのは知らなかった。ところで、自分は左利きなんだけど、今阿高つて左利き用の鋏を使ったことがないんだけど、本当によく切れるのかな?今度使ってみたいけど、日常でそんなにハサミって使わないから買うのを忘れちゃうんだよね。
参考文献: Britannica. / ThoughtCo. / COONEY CLASSICS / はさコレ / Wikipedia