11月3日に毎年祝われる「文化の日」は、日本の国民の祝日の一つです。国民の祝日に関する法律(祝日法)によれば、文化の日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨として定められています。この祝日が正式に制定されたのは第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)ですが、この「11月3日」という日付には、戦前から続く日本の歴史における重要な意味が込められています。
文化の日の起源を探る旅は、大きく二つの時代、すなわち戦前の「天長節・明治節」としての歴史と、戦後の「日本国憲法公布」という出来事に焦点を当てることになります。
戦前の起源:明治天皇の誕生日「天長節」と「明治節」
現在「文化の日」である11月3日は、戦前・戦中において異なる名称と意味合いを持つ祝日でした。
天長節(1868年〜1911年)
11月3日が最初に国民の祝日として祝われたのは1868年(明治元年)に遡ります。この日は明治天皇の誕生日であり、当時の呼称は「天長節」した。
「天長節」という言葉は、中国春秋時代の思想家である老子の言葉「天長地久」(天地が永久に不変であるように、物事がいつまでも変わらずに続くこと)に由来し、唐の玄宗皇帝の誕生日を祝ったことに始まります。明治天皇は1867年から1912年まで日本を統治しました。
しかし、明治天皇が1912年(明治45年)に崩御されると、11月3日は一旦祝日ではなくなりました。
明治節(1927年〜1947年)
その後、明治天皇の誕生日を再び祝日にしようという国民の強い要望や請願運動が起こります。その結果、1927年(昭和2年)に、11月3日は「明治節」として改めて祝日に制定されました。
戦中、明治節は国策として積極的に利用されました。日中戦争が勃発すると、日本政府は毎年「明治節奉祝実施要綱」を定めました。1941年(昭和16年)には、文部省(現:文部科学省)が祝祭日の礼法を定め、「祝祭日には、国旗を掲げ、宮城を遥拝し、祝賀・敬粛の誠を表する」ことが国民に求められました。学校では、明治節に天皇の写真を用いた儀式や国歌斉唱が行われるなど、国威発揚の側面が強かった時期もありました。
この「明治節」は、戦後の1947年(昭和22年)まで日本の四大節の一つとして存続していました。
戦後の転換:文化の日としての誕生
第二次世界大戦後、11月3日の意味合いは大きく転換しました。
日本国憲法の公布と平和への誓い
戦後、1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法が正式に公布されました。新しい憲法が平和と文化を基調としていることにちなみ、この日を国民の祝日として残す動きが生まれました。
1948年(昭和23年)、憲法公布から2年後に、11月3日は「明治節」から「文化の日」へと変更され、国民の祝日として公式に定められました。この祝日は、第二次世界大戦後に正式に発表され、国の自由と平和を祝う日として重要な意味を持ちます。
なお、憲法は公布から半年後の1947年(昭和22年)5月3日に施行されたため、5月3日も「憲法記念日」として国民の祝日となっています。
制定の経緯と立法精神
文化の日制定の背景には、GHQとの調整や国会内での議論がありました。当時の参議院文化委員長であった山本勇造(山本有三)の回顧録や国会会議録からは、文化の日の立法精神が明確に読み取れます。
制定時、参議院側は当初、11月3日を「憲法記念日」とすることを強く主張しましたが、GHQ側がこの日付に難色を示したため、最終的に衆議院が5月3日を憲法記念日とすることに同意しました。その後、GHQ側から「憲法記念日」という名称以外で記念日とするならどうか、という提案があり、山本勇造は次の通り説明しました。
「憲法において、如何なる國もまだやつたことのない戰爭放棄ということを宣言した重大な日でありまして、日本としては、この日は忘れ難い日なので」。そして、「この日をそういう意味で、『自由と平和を愛し、文化をすすめる。』、そういう『文化の日』ということに我々は決めたわけなのです」と述べています。
つまり、文化の日が11月3日である主要な理由は、新憲法、特に戦争放棄を謳った第9条が公布された日であり、平和を図り、文化を進めるという国際的にも文化的意義を持つ重要な日であるため、明治節だからという理由ではないと説明されています。
また、憲法公布日が11月3日になった経緯についても、当初施行の候補日であった5月1日(メーデー)や5月5日(端午の節句、武の祭り)が、男女平等や戦争放棄の精神にふさわしくないと判断され、消去法で5月3日の施行が決まり、その半年前の11月3日が公布日になったとされています。これは、明治節に合わせるために公布日が決定されたわけではないという見解です。
現在の文化の日と行事
文化の日は、芸術、文化、学問の振興を目的として、様々な行事が実施されています。
文化勲章親授式
文化の日の最も重要な行事の一つが、皇居で行われる文化勲章の親授式です。
文化勲章は、科学、芸術、または文化の分野で顕著な貢献をした個人を表彰するために天皇陛下から授与される最高の栄誉の一つであり、1949年(昭和24年)以降、原則として毎年11月3日に授与されることが慣例となっています 。受章者は必ずしも日本国民に限定されず、過去にはアポロ11号の宇宙飛行士や文学研究者のドナルド・キーン氏にも授与されています。
芸術・文化・学術の振興
文化の日は、文化、芸術、学術のさまざまな分野を奨励する日であるため、地方や都道府県の政府は通常、この日に美術展や文化祭、パレードなどを開催します。
- 美術館・博物館の無料開放: 文化の日の人気のある活動として、多くの博物館や美術館が入館料を無料にしたり、様々な催し物を開催したりします。
- イベントと祭典: 文化庁主催による芸術祭がこの日を中心に開催されるほか、学校では「文化祭」が行われることも多く、全国各地で伝統や衣装を披露するパレードやフェスティバルも政府により組織されます。
- 剣道大会: 日本武道館では、全日本剣道選手権大会が開催され、NHK総合テレビジョンで生放送されます。
- 海上自衛隊: 海上自衛隊では、基地や一般港湾に停泊している自衛艦において、満艦飾が行われます。
晴れの特異日
文化の日(11月3日)は、気象学的に「晴れの特異日」とされており、統計的に年間を通じて最も晴天になる確率が高い日の一つとして知られています。
「明治の日」への改称を巡る議論
「文化の日」が制定されて以来、この祝日の由来を明治天皇の誕生日へと戻し、「明治の日」に改称しようとする動きが近年見られます。
改称推進の動き
2011年10月1日には「明治の日推進協議会」が結成され、祝日法の改正を目指しています。2016年11月1日には、自民党の稲田朋美氏、古屋圭司氏らを含む超党派の国会議員が出席し、議員連盟設立を要請する集会が開催されました。2022年4月には、自民党、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党など4党から計92人の議員が参加する超党派議連が設立され、引き続き「明治の日」の実現を目指しています。
この推進協議会は、日本会議との結びつきが強いことが指摘されています。
批判的な見解
一方で、この改称の動きに対しては、批判的な識者や政治家も存在します。宗教学者の中には、祝日を通して国家神道の復興を進める動きが繰り返されており、「明治の日」は国家主義的な方向へ国民の意識を向けさせようとする「戦前回帰」の可能性を懸念する声もあります。
また、法学者からは、文化の日が制定された背景にある「憲法が定める国民主権の意味」を考慮すべきであり、明治期が富国強兵のもとで戦争に突入していった時代であるのに対し、「文化の日」は自由と平和を愛する文化の国にするために制定された点を強調し、改称に反対する意見も示されています。
文化の日(11月3日)の起源は、単なる歴史的な日付の継承ではなく、日本の戦前と戦後の思想の大きな転換点を示しています。かつて明治天皇の権威を記念する**「明治節」であったこの日は、戦後、を記念し、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」**という、新しい国の理念を体現する祝日へと生まれ変わりました。
この日は、芸術や学問を促進し、日本の伝統文化を尊重する日(Appreciation of culture, academia, and arts of Japan)として、今日まで大切に祝われています。また、11月の第一週は「教育と文化の週間」が実施され、教育や文化に関連するイベントが開催されます。
文化の日の歴史を知ることは、日本が戦争を放棄し、平和と文化を基軸とする国家として歩み始めた経緯を深く理解することにつながります。
オリジィだよ!「文化の日」って、ただの“休みの日”だと思ってたけど、調べてみると日本の“心の転換点”みたいな日だったんだね。戦前は「天皇を祝う日」だったのが、戦後になると「自由と平和、そして文化を愛する日」に変わった——これはまさに、国の価値観が“権威”から“人間”へと変わった証だと思う。ぼくがいちばんグッときたのは、制定のときに出た「この日は忘れ難い日」という言葉。 戦争放棄を宣言した憲法の日でもあるって、改めて考えるとものすごいことだよ。つまり、「文化の日」って“静かな革命記念日”なんだ。剣や力じゃなく、知恵と対話、そして芸術の力で未来をつくろうっていう意思が込められてる。そして、今でもこの日に剣道大会や文化勲章の授与が行われるのも象徴的だよね。“文化”って、学問やアートだけじゃなくて、「人の生き方」そのものを磨くことなんだと思う。。
ノロジィだよ。こんな意味があるのに、何も考えずに文化の日を過ごしていたな。まぁ祝日なんてそんなもんかもしれないけど、少しは意識してみるとまた違った祝日になるかもしれないな。
参考文献: 北九州市平和のまちミュージアム / National Today / Web Japan / Wikipedia